バイト中に
今やっているバイトも就職に伴ってあと1週間後辞めてしまう。数で言うとあと2回の出勤。1年半は勤めた。
この職場は自分の今までの職場のなかで一番良かった。なんでだろうと改めて考えてみる。
特徴としては、フリーターの人(一番上は40歳)がほとんどで学生が全体の20%程度。男性と女性が別れており男性のみとしか仕事をしない。社員の人がいい人っていうのもあるだけど、フリーターの人の方が歴が長かったりするパワーバランス。ひたすらに体力勝負、勤務後は1kg落ちる。けど一番は人の良さのように思える。
振り返ってみると今まで周りの大学生よりは多くの職場でバイトをしたと思う。長期で5つの職場を経験して、短期バイトだと15?くらいの現場は経験した。
最初に働いたカフェのキッチンでは、そもそも向いてなさ過ぎて無理だった。だけどそこにいたバイトリーダーが暴言を普通に職場で吐くような人で、自分も注意された後にゴミ箱を蹴られたことがあった。
次に働いた結婚式では人がいないのか「出勤出来ない人は理由をメールで教えてください」と言われる始末。そうやって求めてくる癖に人の名前すらも覚えてなくて、この人の下で働きたくないと思い辞めた。そして現場で覚えろ主義で、分からないと周りに迷惑かけることや嫌な顔をされる筋の通っていない状況だった。
最後に塾講。ここでは職場が合併するという前代未聞の現象が起きて2つの現場を経験した。
合併する前の教室は好きで教室長はとにかく人間らしい人だった。ほんと「教育者」という言葉が似合っていた。
「俺が大学生の頃なんてナンパばっかして、女のケツ追っかけてたわ」なんてことを普通に言う40代の教室長。この人に今の自分は少しばかりの影響を受けている。いつかまた会えたらいい。ストレスで病気になって休職してしまったけど。
合併後は職場の雰囲気もあったけど出勤する度に何かしらの変更点があるような職場だった。現場に行って変更点を知り、そこで対応を求められるのが地味にストレスで、教室長ともあまり合わなかった。前の教室長がいい人過ぎた。
短期バイトはチーフによっての差がやはり激しく、優しい人もいれば教えられてないのにそれについてキレてくる人もいた。
しかし、そこで出会った人と仲良くなったりするのは楽しかった。
色々な人がいた。「この人昔のあの人に似てるな…」というほどまだ人とは会ってないけど、そういった人は一人もいなかった。十人十色。
いい人もいれば悪い人もいる。
湿っぽくなるのは苦手だし、誰かに恩を向けられるとダメな人間だからサッと消えたい。自分のなかではクソほど感謝してるけどいつも通り「お疲れ様でした」と言って終わりたい。
配属先について
配属先が決まった。なんと東北支店。
いや驚いた。全国に部署はあるけどなんとなく関東になるんだろうなと思ってた(自分は神奈川に住んでいる)。
メールが来たときは「マジか!」っていう驚きと「また何で東北なんだ?」っていう疑問が半分半分。
けど10分後には「そっかー、俺東北行くんか」という妙に納得した気持ちになった。
「全てを捨てて、1からやり直したい。」
という気持ちが昔からあった。いわゆるリセット癖。浪人をしてた頃は特に。
あの頃は周りが鬱陶しくて、ただただ一人になりたかった。
けど大学に入って、切っても切れなかった小中高の友達や自分の学びたいこと、20歳になってから見る世界の広さと社会の位置付けを通じて自然に周りのありがたさと自分の小ささを知った。だからそうなった今、離れることを少し惜しむ自分に変わったなと思う。
今では「1からやり直すけど、捨てずに全部背負っていきたい」という言葉がしっくりくる。ちょっとくさいけど。
祖父母は今まで住んでいた古い家(築120年以上)をたて壊して新しい家に住むらしい。浪人ゆえに1年早く社会人になった小中高の友達。未だにフリーターの親友。お世話になったバイト先。神奈川にまだいるであろう元カノ。ずっと4人で暮らしてきた家族。好きだった江ノ島の風景。最近のたまに春を感じるような陽だまり。
変わりゆくのは正直不安なところはあるけど、今日までの幸せが間違いなく心を満たしてる。
じゃあ残りを大事に生きよう!とかは正直思わない(笑)。なんか特別感が出て嫌だし、別に普通の日々がこれからも普通に続いていくだけ。就職してからも普通に。
周りも「いや東北わろたw、んでさっきの続きなんだけどさ…」みたいな空気感なのが案外楽。
とりあえず荷造りと持ってくものはぼちぼちと決める。少し忙しくなりそうだ。
誰かを愛し愛されること
タイトルが壮大になってしまった。まぁもうすぐ社会人として大きな転機を迎えるから色々と思うことがある。というかいつも思っている。
大体いつも思うことは同じでこのブログにも何回もそんなワードを書いていたような気がする。
いつかは孤独になる。それはうっすらと分かるときが来る。結局は自分の人生な訳だし友達やら家族やらがいても最終的な決断を下すのは自分であって、そこに他人が助けてくれたり入り込む余地はないように感じる。
所詮コミュニティーから外れてしまえば関係性もなくなり他人になることは避けられないし、LINE一つでいつだって人との縁は切れてしまう。それはもう必然である。大学の友達、バイト先、昔からの友達、家族なんていうものも歳を重ねるにつれてどんどん失っていく。そして一人になる。だからこそ大事にしたいとは思ってるけど。
縁はいつか切れてしまうかもしれない。けど他人との思い出や大事にしてもらったこと、楽しかったこと、嬉しかったことはいつか必ず自分を守ってくれる。受けた恩恵や自信はどうしようもないときに守ってくれる要素になる。
「ここではダメだったけど次は大丈夫かもしれない。」そういった気持ちの前提にあるのは以前に受け入れられた経験や大事にされたこと、必要とされたことがあったから思えるものだと思う。
自分はどちらかと言うとポジティブな人間だしブログもちょくちょく更新するような行動力?みたいなものもある。けどそれを構成したのは確かに自分でもあるが、周りから愛されたり大事にしてもらった経験からなのかもしれない。
消えてしまうことは避けられないけど、自分のしたことが相手を同じようにいつか守って少しでもいいから前向きに出来るような、そういうように相手を愛したいと思う。
2月になった
2月になった。1月もあっという間に終わってしまった。
1月の記憶と言えばとにかく卒論。もう来週には発表だからいよいよって感じ。一年かけて同じテーマであーでもないこーでもないと文字を打ち込んでは消し打ち込んでは消し…を繰り返してた。教授から何度も添削をくらいメールを逐一チェックをして書き直していた。そんな日々をひたすらに過ごしていた。なんだかんだ真面目に大学4年生の最後をしていると思うし来週には充実感でいっぱいになっているんだろうきっと。
発表前だからバイトを多めに空けたんだけど、思ったより作業が進んでて暇になってしまった。今日は一日家にいるのも嫌だったから外に買い物をしに行った。
母校の近くに大きなショッピングモールがあるから久しぶりに昔の通学路を通って向かった。
道中に昔あった建物は消えていてもう思い出せずに新しい建物が並んでいた。正直母校の前を通った時はあまり懐かしさみたいなものはなくてそういう時もあったのようなどこか他人事のような気持ちだった。
眠れないときの話
昼寝をしたこともあって眠れない。というより寝る気がないと言った方が正しい気がする。
よく夜更かしをするのは一日に満足してなくてそれを取り返そうとしているからという言葉をどっかで聞いたことがある。
一日に満足してない…確かに卒論をやっていて一日があっという間に終わってしまった。家の外にも出ずに。ただなんとなく現在に至ってしまったようなそんな認識なんだろう。
こういう時はSNSで知り合いの知り合いを眺めたりLINEのトーク一覧とか友達のトプ画を眺めたりとか皆が当てはまるんだろうけどなんなんだろうなこれ。自分にあるものを再確認したくなってるのか分からんけど。
自分にあるもの、正直に自信を持って言うことが出来る。
好きな奴らがいて頑張りたい場所、頑張れる場所があって自分のやりたいことがあって行きたい所があって…と昔は言うことが出来ずにただ単に劣等感に駆られた時期もあったけど今はこれだけの物を持っている。というか気付いただけなのかもしれない。そういうことがいざとなったら、自分を守ってくれると思う。
誰かに打ち負かさせたときや否定されたとき、どうしようもないとき、追い詰められたとき。そのときは目の前のことしか見えなくてこういった存在に気付かないんだろうけど、思い出したいもんだ。
明日のために寝るか、、、
ふと時間が空いたら
前より書く時間,日が減った。いつも同じことを書いてる気がする。
俺自身今書いてることは今だけであって、1〜2週間後の自分が見たら黒歴史になるようなそんな今だけの気持ちを思う。基本過去の書き込みは見ない。というか見たくない、客側的に見て衝動に駆られて書いてるのはサブかったり痛かったりする。けどその時は本当に思っている。
ふと時間が空くことがある。なんだかんだ毎日予定を詰め込んでその流れで寝たり余暇を過ごすんだけど、予定の前後+1時間はその予定の余韻やらで実質ゆっくり出来る日はなかなかない。今日は時間が空いた。
最近思うこと。バイト先の人がコロナになったこと。その人だけが外れて店も人もただ淡々と動いてるのは少し寂しくなったような当たり前のような。
っても最近は考える間もないくらい卒論に追われてて、卒論してバイト行って寝てを繰り返して日々が終わっていく
2ヶ月ぶり
2ヶ月ぶりに埼玉に来た。
地元は神奈川なんだけど実は大学は埼玉にある。以前は埼玉にいることの方が多くて、神奈川に帰ると懐かしいなぁと思うことが多かったのだが、今回埼玉に来ると懐かしさを感じた。
埼玉の帰路は大きく2パターンあり、どちらも2km〜4kmはかかる。(普通に帰るときは2kmだけど遠回りして帰るときは4km)
久々ということもあり4km歩いた。この4km歩く時はなんとなく考えごとをしたいときやぼけーっとしたいことが多く「そういや、昔こんなことを思いながら歩いたなぁ」と思っていた。
こんなことを思う。それは大抵自分がしてしまったことではなくて、されたことに対して思うことが圧倒的に多かったような気がする。
もうなんとなくしか覚えてないから許したのか、乗り越えたのか、都合よく忘れたのかは分からないけど多分それは良くも悪くも思い出になってしまったのだろう。
大学1年の頃はとにかく若かったというか、青かったと思う。そして4年最後の今、そのときから随分時間が過ぎたように感じて5年前のように感じる。
色んなことにがむしゃらで他人から見れば大きくイメージも変わったのかもしれない。自分から見ても大人しくなったと思う。落ち着いて考えられるようになった気がする。
そんなことを思いながら幼少期から好きな場所を通った。