初詣
年が明けた。らしい。
またいつものようにここ2週間くらい毎日予定があり忙しなく動いてたから実感がない。
2021年?になった。
今日は久々の休みで一日予定がなかったこともあり疲労が溜まっていたのか13時まで寝ていた。なんとなく天気がいいから初詣に行くことにした。
一人で行っても良かったのだが、以前地元の知り合いから誘われていたのを思い出し連絡すると速攻返信が返ってくる。一緒に行くことになった。
地元というものが正直あまり好きではない。自分の根本の場所っていうのは間違いないんだけど、大きくなるにつれて外に出たい、縛り付けるようなものという認識が強くなっていった。
「○○は今○○で○○してるらしい」みたいな噂話をつまみに酒を飲むようなそんな勝手な偏見抱いているのもあるし、自分がその対象になるのもなかなかに腹立たしい。同じ場所で育ち同じように遊んでたからこそ他人と自分の現在の境遇が気になるのかは分からないけど、同窓会には一回も行ったことがない。そもそも他人にどうこう言われるのが嫌いなんだ。
駅を降りると混んでいた。
楽しそうなカップルや家族、友達同士など色々な人がいた。
お参りのときは何を思えばいいのか分からないけど友達と家族の幸せを切に願っておいた。
普通にいつも通りの日常を当たり前のように送ってくれればそれでいい。
最近のこと
最近時間が過ぎるのが早い。曜日感覚がないから電車の混み用や家に人がいるかいないかで休日だと判断する。
最近はとにかく忙しい気がする。
卒論50枚を最後仕上げないといけないし、バイトにも毎日入っている。ちなみに今日が今年最後の休日だった。
夏みたいに毎日死にそうにながらも予定があるっていうのが合ってるのかもしれない。
バイト先の人と遊んで飲んだ。
俺自身話でもなんでも暗い話があまり好きじゃない。ある話題では酒が不味くなるような話がありあんまり気分が良くなった。
もっと適当に生きるのは通用しないのかと改めて思う。振り幅はあるしてもその人が納得して生きているのであれば結論いいと思うんだけど、それなりの要領で生きてきたから自分の意見に対して確信を持てないのも事実だ。
会社の重要書類が届くらしい。
いよいよか…と思う。けどいつでもイメージはしてきたしそのための周りの感謝や自分の思いは確立してきたから大丈夫だとも思う。
バイト先にはフリーターの人が多くほんと色々な人がいる。自分の思い描いたことに対してどんなかたちでも真っ直ぐに向かってる人はカッコいい。
最近連絡を取っている子とはなんというかまぁ…って感じ。
自分自身の意見や考えに確信を持ちたいからそれ相応の事実と背景を持ちたい。感謝はしてるけどね。
事実や不恰好でもあれとにかく自分次第だと思う。そのために向かってきたいなぁ
休日のこと
余力がある休日というのが苦手だ。
何かしらの予定が続いてて「明日やっと休日だ…!」みたいな精神的状態で迎える休日ならいいんだけども。
最近旅行やらバイトやら会社やらが続いたけど、一日中ぐったり寝るほどまだ疲れてなかったみたいだ。
特に予定はないものの家にずっといるのも嫌だったので外に出る。適当に電車に乗り、降りて適当な公園のベンチに座った。
いつのまにか12月に入ってたという体感であったことを改めて実感する。
最近友人と話していたが、街の装飾や服装など物事や生活に対して後付けで季節を感じることが多くなった気がする。これも歳なのか…
忙しい時間のなかでもぼんやり考えるような、何もない時間は必要だと改めて思った。
そのあとはヒトカラに行った。
最近の曲より昔の曲を歌うことの方が多い。っていうのも俺自身声量全振りなので、歌詞を伸ばすような曲が一番合ってるように感じる。とにかく歌いやすい。文字数よりも一つ一つの言葉の時間が多いみたいな。
そして、そのまま家に帰った。
最近一人暮らしがしたいと切に思う。4月から社会人でどちらにせよ一人暮らしにはなるんだけど。
一人立ちしたいっていうのもあるけど、自分のペースで自分のことは自分でしっかりやりたいという気持ちが強くなりつつある。この気持ちは正直高校の時から思っていた。そう考えると経済的にはまだしも精神的に熟すのは早かったように思える。
今まで自分がやってきたことに致命的なミスもなかったし。感謝はしてるけどそろそろ自分一人で戦って苦しんでみたい。
今年もわずか。気持ちとやりたいことを徐々に整理していこう。
懇親会
会社のweb懇親会があった。特に印象に残ってるのが2つ。
一つ目は自己紹介。
「これから5分取りますので、各グループ自己紹介してください」という地獄。
大抵こういう場合まず、誰から始めるか人狼が始まる。基本みんなだんまり。対面だと時計回りとかが使えるけどオンラインだと厳しい。
なんか俺はこういう平行線を辿るような雰囲気は苦手なので案外真っ先に挙手する。一番多かったのはあいうえお順だった、確かに楽だ。
まあそんなこんなでグループが変わるごとに自己紹介。やはり時間ぴったり終わる訳なく時間が余る。このあとの無言の時間。話をするにもほんと数秒だし困るんだなこれが。なかには気を利かせて話を広げてくれる人もいたり、自分も振ったり援護したりする。陰の者は初対面には強い。
次にお絵描きコミュニケーション。
これはテーマに沿った絵を描いてカメラに向けて発表するというもの。
俺は昔から絵が苦手だから内心かなりキツかった。特に出身地の絵を描いたときは自分で書いてて笑ってしまった。なんやねんこれって。
それからは会社の具体的な内容を聞いて12月に入り学生ももう少しだなと改めて思った。
思ったより書くことがなかった。
それは今更グダグダとアウトプットをすることもないくらい、もう普段から思ってて自分のなかに溶け込んでいるように思えた。
三連休2日目
飲みの予定がなくなった。元々3連休の予定は初日バイト、2,3日目は友達と飲む予定だった。
コロナヤバくね?とLINEが来て、んじゃやめっかーと即答。もう片方は一つが消えたことから俺が強引に消した。卒業までには会おうと約束した。
一日家にいるのはつまらない性格なんだけど、不思議と今日は乗り越えることが出来た。TOEICの勉強やら本読んだりギターを弾いてたら夕飯になっててビールを飲んで軽く寝てたらこんな時間になってた。グダグダするのも悪くないなと思うのは今日だけなんだろうけど笑
何か書くことといったら特にないんだけど、やっぱりバイトの話。とは言ってもバイト先の人の話。
俺が今つるんでるような友達っていうのは、小中の同級生だったり高校の奴しかいなくて当初どうやって仲良くなったのか覚えてない。小中なんてもう10年以上昔だし子供の頃ってノリでもう仲良くなってるようなものだからね。
今出来る友達や知り合いなんかはガキの頃と意味は大きく変わってると思ってる。それは自分の個性がもう確立されていることもあるし立場も人それぞれだし、ある意味別グループの人が仲良くなるみたいな。
こういう考えだからイマイチ社交性がないのかもしれない。けど本音と建前が歳を取るごとに生まれるのも事実なんだろう。分からんけど。
そんななかで前回書いたけど飲みに行ったり、事務的な会話からちょっとずつプライベートな会話へと目には見えないけど距離が縮まった感じが個人的にグッときてしまう。まあその距離は遥か遠くなんだろう。やりやすさみたいのも大きく変わった気がする。
前に塾講師のバイトをしてたときに、塾長が自分の人生のなかで印象に残るほどの良い人で褒めてもらったり言葉をくれたりした。そういった誰かの優しさや頑張れた場所があったことがいつかの自分の逃げ場所にもなった。就活のときは特にそう。
「ここがダメでも自分には頑張れる場所があった」「この人は合わないけど認めてくれる人がいた」という事実はいつだって自分を救ってくれるものだ。
なんか結末としていつもこういったかたちになってしまうけど、俺ももっとデカくなりたい
背負うこと
俺は背負うという言葉好きで、自分も背負えるような人間になりたいと思っている。
何故好きかと言うと、誰かの悲しみを軽くしたり負担を軽くすることが出来るから。
誰かのやり切れない部分を少しでも俺が軽くしてあげたい、そういうところから来ている。
自分の存在が他人に対してプラスになっているのなら凄く嬉しい。そのためにその人の為に頑張りたいと思う。たとえそれが自分にとって不利益なものだとしても。
振り返ると俺は、誰かに何かされたことより自分がしてあげたことの方が圧倒的に多い。
5回あったとして誰かにしてもらったことなんで1回くらいだろう。そこのバランスが嫌になることもある。それに、漬け込まれたりしたことも多々あった。でも誰かが困っているとほっとけないし、考えるよりも先に体が動いてしまう。それは言い過ぎかもしれないけど。
自分のことは完璧に出来るし、ミスをしても自分のことだから筋が通ってるし納得出来る。
けど、他人自身が補えないものをなんで俺がカバーしなくちゃいけないんだと思うことも多々あった。結局なんだよ…と思いつつ世話を焼いてしまうんだけど。
思ったより筋が通っている人は少ないように思える。小学校の頃習った「自分がされて嫌なことは自分もしない」っていうのが原点かつ頂点。もうほんとこれに尽きる。
俺はそれと「自分がされて嬉しいことを相手にする」という2本立てで生きている。
もうこれぐらいのシンプルさと適当さが楽。
電車着いたから終わり。何を話したいのかイマイチまとまらなかった。