誰かに寄り添うこととは

生きていく過程において選択肢が増え迷いながらも選んでいくが、高校大学受験就職を迎え世間的には若いとされる自分の年でも境遇が大きく異なるようになったと思う。

 

当たり前だけど色々な人がいる。そのなかで誰かの悲しい話や上手くいかなかった話、生い立ちなどを聞いたときどうすればいいのだろうと毎回思う。悲しくもあるが、そういう場面に立ち会うことが前より増えた気がする。

 

残酷かもしれないけど俺は「そうなんだ」の一言。正直に分からないから。昔は「大丈夫だよ!」って言えたんだけどそれなりに生きてきたなかで、それは無責任じゃないかと感じるようになった。

よく「何かあったら言って」「大丈夫だよ」「生きてればいいことがある」とかそんな言葉があるけど結局自己満に過ぎないと思う。生い立ちも環境も違う、その立場になったこともない。そんななかで他人に言える言葉なんて見つからないし、その人がホントにどう思ってるかなんてその人にしか分からないのだから。そして偉そうに他人にアドバイス出来るほど俺は大層な人間じゃないし。

 

冷たいけどそういった中途半端な優しさが逆に辛かったりするんじゃないかと思ってしまう。仮に自分が辛い境遇にあったとして、他人からの言葉なんて薄っぺらいように感じるだろうし「あんたに何が分かる?」と差別化してしまう。今までホントの意味で誰かに求めていた言葉と相手が発した言葉が結びつくことなんてなかったし。ほとんどは自分次第。

 

でも、想ってはいる。痛いほどに。

決して合わせない視線、遠い目や顔の向き。言葉云々よりもそういった細かい仕草が痛くてこっちまで悲しくなってくる。

結局出来ることはなんなんだろうとずっとずっと考えている。常に探している。

分からないなりに出来ることは話を聞くこと、ビールを奢ること、それから夜道を一緒に歩くことぐらい。そしていつかその人の選択肢のなかに自分がいたら嬉しい。